思惑



「おーい、未由季」
片岡哲司は車を降り、山岸未由季の部屋に向かって未由季を呼んだ。
今日は未由季とのデートのため、未由季を迎えにきたのだ。
「あ、片岡さん、いらっしゃい」
玄関から顔を出したのは未由季の弟の泰之だった。
「どうせ姉ちゃんは支度に時間がかかるだろうから、中で待ってたら?」
「いつもサンキューな。それじゃお言葉に甘えさせてもらうよ」
哲志はまっすぐリビングに入って行った。
すでに何度も来ており、勝手知ったる、だった。

「はい、どうぞ。インスタントだけど」
泰之がコーヒーを持って来てくれた。
「おっ、ありがとう」
「いつも扱いづらい姉ちゃんの面倒を見てくれてるお礼だよ」
泰之がそう言ったときに、未由季がやってきた。
「泰之、何が"扱いづらい"よ」
「やべ、姉ちゃんに殺される」
「ほんと人聞き悪いわね。こんな優しい姉をつかまえて」
哲司は二人のやりとりを微笑ましい思いで聞いていた。
「哲司、こんな馬鹿、放っておいて早く行きましょ」
未由季が玄関に向かった。
「ああ、分かった。泰之くん、コーヒー、ご馳走さま」
哲司は飲みかけのコーヒーをテーブルに置き、立ち上がった。
「片岡さん、姉ちゃんがわがままばかり言ってるようだったら、どこにでも捨ててきていいっすよ」
「もう泰之ったら何言ってるの!」
「それじゃ、泰之くん、行ってくるからな」
哲司は助手席のドアを開け、未由季を助手席に座らせた。
そしてバックミラーに泰之の姿を見ながら、車をスタートさせた。

今日は少し離れたアウトレットモールまでの行くことになっていた。
アウトレットモールにはひと山超える必要がある。
街中を抜けて、山道に入った。
今日は車が全然混んでなかったため、気持ち良くスピードを出すことができた。
下り坂になったので、スピードを落とそうとした。
しかし……。
(えっ、嘘だろ…)
ブレーキが効かなかった。
いくら踏み込んでも何の抵抗もなかった。
「おい、未由季、しっかりシートベルトしとけよ」
「どうしたの!」
「ブレーキが効かないんだ。どこかにぶつけてでも止めてみるから」
「うん、分かった。頼むね」
哲司はサイドブレーキや低いギアにしてエンジンブレーキを試してみた。
しかし、下り坂にはほとんど効果はなかった。
哲司はハンドル操作で手一杯だった。
車はレーンからはみ出すこともあり、対向車からクラクションを鳴らされまくっていた。
何度も危うい状況になったが、何とか道路からははみ出さずにいた。
しかしついにはガードレールを破って、山の木々の間を落ちて行った。
そして、1本の大木に正面からぶつかった。
ようやく車が止まった。

エアバッグが出たため何とか怪我はしなくて済んだようだ。
「おい、未由季、大丈夫か?」
返事はない。
しかし明らかに息はしていた。
気を失っているだけのようだ。
哲司は足元に注意しながら車外に出た。
辺りはガソリンの臭いがしていた。
明らかにガソリンが洩れているようだ。
哲司は助手席側に急いだ。
「未由季、とにかく車から離れるぞ」
しかし未由季の意識は戻らない。
哲司が未由季を抱きかかえるようにして、車から少し離れたときだった。
小さな爆発音がしたかと思うと、すぐに大きな爆発が起こった。
哲司は爆風から未由季の身を守ろうとしたが、二人して飛ばされてしまった。

うっすら開けた視界に点滴バッグが見えた。
顔には酸素吸入のためのフェイスマスクをつけられているようだ。
病院だ。
どうやら助かったらしい。
腕を動かそうとしたが、うまく動かせなかった。
腕がかなり痛い。
身体中のあらゆるところが痛かった。
痛みを感じるということはとりあえず生きているということだ。
(俺は助かったみたいけど、未由季はどうなったんだろう?)
当然未由季の安否を気遣った。

そんなときドアが開く音がした。
誰かが入ってきたようだ。
フェイスマスクのためドアのほうを見ることができなかった。
「姉ちゃん、気がついた?」
どうやら泰之のようだった。
おそらく隣のベッドに未由季がいて、未由季もほとんど同時に気がついたのだろう。
未由季も無事だったようだ。
よかった…。

哲司がそう思っていると、哲司の視界に泰之が入ってきた。
「姉ちゃん、姉ちゃん、……」
泰之が哲司の顔を覗き込んで、泣いていた。
哲司には何が何やら分からなかった。
どう反応していいのか分からない。
2、3回まばたきした。

「父さん、母さん、姉ちゃんが意識を取り戻したよ」
泰之の声に何人かが部屋に入ってくる気配を感じた。
すると医者と看護師がベッド脇にやってきた。
哲司の状況を確認して「もう大丈夫のようです」と言った。

「未由季」
男女の声がしたかと思うと、未由季の父親と母親が視界の中に入ってきた。
「よかった、助かって」
哲司は訳が分からなかった。
どうして未由季の両親が哲司の回復を見てあんなに喜んでいるのか。
どうして自分のことを"未由季"と呼んでいるのか?
どうして自分の両親はいないのか?
漠然とある考えが頭に浮かんではいた。
その考えは俄かには信じられないものだった。

しっかり論理立てて考えようとしたが、まだ論理立てて考えられるほど意識がはっきりとはしていなかった。
自分で考えられないのなら医者に聞くしかない。
哲司は質問しようと声を出そうとした。
しかしうまく声が出なかった。
そんな哲司の様子を泰之がジッと見ていた。
「先生、姉ちゃんが何か言おうとしてるみたいですけど」
「たぶんまだ薬が効いているから、うまく話せないんじゃないかな」
「そうみたいです」
とりあえず「ああ」とだけ声を出せた。
その声は明らかに自分の声ではなかった。
女性の声だった。
つけられているフェイスマスクのせいなのか?
そんなことでないことは分かっている。
自分が推理した信じられないことが現実に起こっているんだ。
そう思えてきた。

哲司は必死に言葉を発しようとした。
それを泰之は勝手に違う意味で理解した。
「片岡さんのことを知りたいんだろ?片岡さんは姉ちゃんをかばって全身大火傷を負って、病院に搬送されてすぐ亡くなったんだ」
俺が死んだ?
何を言ってるんだ。
俺はここにいるぞ。
だったら俺は誰なんだ?
考えがどんどん混沌としてきた。
「片岡くんには気の毒だったけど、未由季は片岡くんに守ってもらったおかげで、一命を取り止めたんだから、彼のためにもしっかり怪我を治して元気にならないといけないぞ。片岡くんもきっと天国から見守ってくれるさ」
未由季の父親がそう言った。

俺は死んだんだ。
そう思うと、自然と目から涙が溢れてきた。
とめようとしてもどんどん涙が流れた。

今泣いている自分がどんな姿になっているのかすでに分かっていた。
自分は未由季の姿になってるんだ、と。

哲司は自分の目で今の姿を確認したかった。
しかしそれはなかなか叶わなかった。
自分の身体を動かすことができないのだ。
目は見える。
耳も聞こえる。
しかし他の感覚はうまく機能していなかった。
話すこともダメだ。
「あー」とか「うー」とかそのレベルだ。
言葉を話せる日が戻ってくるのだろうか。
俺は一生こんな身体で生きていかなければならないのか。
自分で生命を絶ちたくてもそれすら自分の力ではできない。
哲司は絶望的な気持ちに陥った。

それでも哲司は未由季を殺すわけにはいかない。
できれば未由季を元の通りの身体にしてやりたい。
それだけを念じていた。

時間が経つにつれ、少しずつ回復していった。
指が動くようになった。
何かを掴むことは無理でも指が自分の意志で動かせるようになった。
たったそれだけのことだが、哲司には大きな進歩だった。
生きる目標ができたようだ。
そうなると他の感覚も少しずつ確実に回復に向かった。
最初はたどたどしい音だけだった発声も、単語になり、文章を構成していった。
指の動きだけだったものが何かを掴めるようになった。
やがて腕が動かせるようになった。

脚の回復が最も遅れていた。
それは事故のせいだったかもしれないし、長期間の入院生活のために筋力が衰えたせいなのかもしれない。
車椅子で移動ができるようになったのは、事故から10ヶ月以上が経っていた。
それでも自分の意志で行きたいところに行けるのは喜びだった。
車椅子での移動ができるようになると、歩くことへの欲求が強くなってきた。
それだけに歩行訓練をそれまでよりも頑張るようになった。
最初は脚を前に出そうとすると倒れてしまっていたが、一歩二歩と少しずつ脚を運べるようになった。
このまま頑張ればいずれは歩けるようになるそうだ。
哲司自身もそんな手応えを覚えていた。

そのころ哲司は未由季の身体に違和感を感じなくなっていた。
元気な身体のまま、ある日突然、違う人間、しかも異性になってしまっていたら発狂していたかもしれない。
しかし死に直面し、生命にしがみついていたからこそ、身体の変化よりもっと根源的なものが重要だった。
未由季の身体を死なせるわけにはいかないのだ。
身体がゆっくりゆっくりと機能を取り戻したことで、未由季の身体が自分の身体そのもののように感じたのも一因だと思う。
哲司は未由季として生きて行く覚悟のようなものが芽生えていた。

事故から1年3ヶ月が経ったころ、杖の補助を借りながら歩くことができるようになるまで回復していた。
気を取り戻したときには身体中包帯だったのが、ようやく健常者のレベルに達したのだ。
身体のあちこちに残っていた火傷の痕も数度に渡る手術で綺麗に治っていた。
ここまで治ったのはもちろん哲司自身の頑張りもあったが、未由季の家が裕福だったことも大きかった。
父親が近隣の県まで20近くのスーパーマーケットを経営している会社の社長だからこそ、こんな長期に渡る入院生活が可能だったのだ。


ようやく退院の日がやってきた。
まだ杖が必要だが、ゆっくりなら自分の脚だけでも歩くことができるようになっていた。
「ようやく退院ね、未由季。よく頑張ったわ」
未由季の母親が迎えに来た。
母親が退院のために用意した服を見て顔が赤くなるのが自分でも分かった。
服は真っ白のマキシワンピースとライトブルーのボレロ。
それだけならまだよかった。
それに加えてレモンイエローのブラジャーとショーツがあったのだ。

「病院じゃ機能的な下着ばかりで全然おしゃれできなかったものね」
下着におしゃれするなんて哲司のこれまでの人生ではありえなかった。
女性の下着には長い入院生活で慣れることは慣れた。
用意されたショーツは刺激的すぎた。
大事な部分は隠すが、サイドがレースになっていた。
ブラジャーはハーフカップでストラップのないものだった。
確かに未由季が身をつければ可愛いだろう。
しかし今それを着るのは他ならぬ哲司自身なのだ。
哲司は母親に背を向けてベッドに座ってショーツを穿き、ブラジャーをつけた。
可愛い下着をつけた自分の姿をじっくり見ないまま、マキシワンピースを着た。
用意されたマキシワンピースは肩紐の細いタイプだった。
その細い肩紐が女性らしさを強調しているように思えた。
スカートの長さが足首が見える程度だったことはスカート初心者の哲司に安心感を与えた。
ボレロを羽織って、退院の準備が完了した。
…はずだった。

「それじゃこれ」
母親がポーチを出した。
「何、これ?」
「お化粧よ。女の子がスッピンで外に出るわけないはいかないでしょ」
そんなことを言われても哲司が化粧なんてものができるわけがない。
戸惑っていると、母親が哲司のそんな様子に気づいた。
「どうしたの?お化粧の仕方、忘れちゃった?」
哲司はおずおずと頷いた。
「どうしたの!未由季!あなた、おかしいわよ!!」
未由季の母親が騒ぎ出した。
せっかくの退院がまた延びた。
さらに1週間ほど検査された。
結局は事故による記憶障害ということになった。

しかし哲司にはもうひとつ気になることがあった。
それは生理がないことだった。
未由季の身体になったということは女性になったということなのだから月一回は生理があるはずだ。
それが全然ないのだ。
そのことに気づいたのは車椅子での移動ができるようになってからだった。
それまではそんなことを考える余裕すらなかった。
最初は事故のせいで身体に変調があったのかと思った。
今は事故のせいで女性としての機能が損傷を受けたと理解している。
いずれにせよそんな鬱陶しいものがないことは哲司にとってはありがたかった。
ただ原因がはっきりしないせいで、気になることではあった。
かと言って、それを言うとまたまた大騒ぎになることは明らかだった。
だからそのことは誰にも言わないことにしたのだ。

ともかく予定より1週間延びたが、ようやく退院の日を迎えたのだった。



家に帰ってきた。
と言っても帰ってきたのはもちろん未由季の家だ。
勝手知ったる家だ。
どこにどの部屋があるのかは分かっている。
だから未由季の部屋にも迷わずに行くことができた。
しかし大丈夫なのはここまでだ。

哲司は"我が家"に帰ってきたにもかかわらず不安で押し潰されそうだった。
(あーあ、俺、これからどうなるんだろう)
哲司は倒れ込むようにベッドに身を投げ出した。

恋人とは言え赤の他人になりすませる自信なんてない。
これまでは病院という狭い空間で過ごしていたから問題はなかった。
これからは未由季の日常に飛び込まなければいけない。
そんなところでボロが出るのは必至だ。
記憶障害ということになっているので少々は誤魔化せるかもしれない。
でもボロが出たときはどうすればいいんだろう?
ばれてしまえば興味本位な世間の視線に晒されるかもしれない。
いろんなネガティブな場面が頭に浮かんだ。
そしてそんなことを考えているうちに眠ってしまったようだ。


「未由季、お風呂に入って汗でも落としたらどう?」
母親の久恵の声で目が覚めた。
「未由季、寝てるの?お風呂入りなさい」
「はーい」
哲司は洗面所で服を脱ぎ、浴室に入った。
浴室には全身を映すことができる大きさの鏡がある。
哲司は湯気で曇った鏡の曇りを取り、鏡の前に立った。
これまでも時々見ていたが、病院の部屋であり時間の限られていた浴室だったため、あまりじっくり見ることはできなかった。
だがここは未由季の家だ。
誰かに覗かれる恐れはない。
哲司は浴槽に腰をかけ、今の自分の身体をじっくり見た。
これまでも哲司として未由季の裸体は見たことがあった。
あらたまて見ても綺麗だ。
しかし何となく印象が違う。
それが鏡により左右逆転しているためだと分かるまで時間がかかった。

哲司はゆっくりと脚を広げた。
未由季は自分の女性器を見られることを望んでいなかった。
セックスは何度かしたが、いつも暗い部屋だったため、見えなかった。
もちろんクンニをして臭いは嗅いだが、どんな形なのか、どんな色なのかは知らなかった。
哲司はドキドキしながら指で女性器を広げた。
(へえ、こんなふうになってるんだ…)
陰毛の中にそれはあった。
ネットやAVで見たのとほとんど同じだった。
綺麗というよりもグロテスクなものだった。
が、その女性器は今自分の股間にあるのだ。
何とも不思議な気がした。
じっと見てると何だか湿ってきたような気がする。
哲司がその部分を指で触ろうとしたときだった。

「未由季、バスタオル置いておくわよ」
母親の久恵がバスタオルを持ってきてくれた。
「あ…ありがとう」
哲司は慌てて湯舟に入った。
オナニーは夜自分の部屋でしよう。
そう思い直し、風呂では何もせず普通に風呂に入った。


風呂から出てみると置かれているのはバスタオルだけだった。
(えっ、着る物は?)
哲司の家では風呂に入っていると母親が置いてくれていたのだ。
しかし未由季のところはそうではないらしい。
哲司は簡単に身体を拭いて、腰にバスタオルを巻きつけようとした。
(いけね、これじゃダメだな)
そう思い直し、バストを隠すようにタオルを巻き、部屋に戻ろうとした。
洗面所を出ると、母親がいた。
母親は哲司を一瞥して「早く服着なさいよ」と言っただけだった。
バスタオル一枚で家の中を歩くことは、未由季の家では特別変わったことではないようだ。

哲司は部屋に戻ると、すぐに服を着た。
できるだけ清楚でおとなしそうなものを選んだ。
退院したらすぐにやろうとしたことを実行するためだ。

哲司はライトグリーンのプルオーバーシャツと同じ色のカーディガン、それに膝が隠れる程度の花柄プリントのフレアスカートを着た。
化粧はまだ慣れてないので、口紅だけをつけるにとどめた。
それだけでもかなり印象が変わった。
未由季はやはり美人だ。

「お母さん、哲司さんのところに行ってこようと思うんだけど」
母親の久恵に言った。
「そうね。一度くらいはご挨拶にうかがったほうがいいわね。大丈夫?一人で行ける?」
「大丈夫よ。すぐ近くなんだし」
久恵は「それじゃ行ってらっしゃい」とだけ言って、夕食の準備を始めた。

哲司はヒールのないパンプスを履いた。
元自分の家までは徒歩で十数分のところだ。
目的地が近づくと妙な緊張感に包まれた。
「ごめんください」
哲司はインターホンを押さずに大きな声で呼んだ。
哲司の母親の早苗の姿を見つけたからだ。
「はい、どちら様ですか?」
早苗がやってきた。
久しぶりに会う自分の母親に思わず目頭が熱くなる思いだった。
「あら、未由季さん。もう大丈夫なの?かなりひどい怪我でずっと入院されてるって聞いてたけど」
言葉は優しいが、全然目を合わせてくれなかった。
不思議な思いで、早苗の顔を見ていると、早苗がその視線に気づいたようだ。
そして視線の意味を勝手に誤解したようだった。
「全然お見舞いにも行けずごめんなさいね。あなたの顔を見て哲司のことを思い出すのがつらくって」
だから今も全然目を合わせてくれないのだろうか。
何となく寂しい思いだった。

「哲司さんにお線香をあげさせていただけませんか?」
「あ…そう……そうね。それじゃ、どうぞ」
哲司は元の自分の家に入った。
そして自分の写真が飾られている仏壇の前に座った。
何とも不思議な気分だ。
自分はまだ生きているのに、そのことは自分以外の誰も知らない。

「これまで全然ご挨拶に来れず申し訳ありませんでした」
哲司は早苗に向かって言った。
「いいえ、こちらこそ何も連絡できてなくてすみません」
早苗は相変わらず冷たい感じだ。

「哲司さんの部屋を見せてもらってもいいですか?」
「えっ、でも…」
「お願いします」
哲司は頭を下げた。
「あの子が死んだときのままにしてあるのよ」
確かに部屋の様子は変わっていなかった。
懐かしい思いだった。
「一人にしていただけますか」
「そうね。そのほうがいいわね…」
早苗はおとなしく出て行ってくれた。

哲司はベッドに寝転がった。
この部屋にいると元の身体に戻ったような気がしてきた。
あの事故から2年近くが経ったとは思えなかった。
回想に浸っていると、居眠りしてしまったようだ。

ドアが開く音で目が覚めた。
振り返るとそこに兄の久司がいた。
「あ…兄貴、何だ?今帰ってきたのか?」
寝ぼけていた哲司は思わず言ってしまった。
「哲司…なのか?」
「何言ってんだよ。見りゃ分かるだろ?」
そう言ってから気がついた。
今は未由季の姿になっていることに。
久司は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。

(しまった。俺は今、未由季だったんだ)
哲司は何て言い訳しようかと考えを巡らせた。
(そうだ、モノマネしたことにしよう)
哲司はそう思って「お兄さん、今の言い方、哲司さんに似てました?」と言った。
哲司の言葉に驚いていた久司の顔が少し安心した顔に戻った。
「え?あ…うん、似てた。すごく似てたよ。マジで哲司だと思った」
何とか誤魔化せたと思った。
そこで気になることを聞くことにした。

「おばさん、なぜかわたしと目を合わせてくれないんだけど、どうしてか知りませんか?」
久司の顔が困ったような顔になった。
「何を言われてもわたしは平気ですから教えてください」
哲司は上目遣いで久司を見て懇願した。
久司が仕方ないかという表情になった。
「こんなこと未由季さんに言っても困るだけだと思うんだけど、何も知らされないのも確かにつらいよな。実はお袋のやつ、未由季さんのことを恨んでいるんだ」
「えっ!」
どういうことだろう。
恨まれる筋合いはないと思うんだが。
「哲司は助からなかったのに、未由季さん一人だけが助かったってことが理由だと思うんだ。哲司のやつは未由季さんをかばって全身火傷で、病院に運ばれてしばらくして死んじゃったらしいし」
「そうだったんですか」
「未由季さんは頭にひどい怪我を負ったって聞いたんだけど」
「おかげで1年半以上入院してました」
「もちろん本人も未由季さんを恨むなんて筋違いだってことは分かってるはずさ。だから今日だってこの部屋に入れてもらえたんだろ。本当に恨んでいたら門前払いにするはずだろうし。結局誰かを恨んでないと精神的に参ってしまうから、その対象として未由季さんを恨むことにしたんだと思うんだ」

「お袋のやつ、そんなに苦しんでるんだ」
久司の話を聞いた哲司は唸るように言った。
「俺は生きてるのに…」
その言葉に久司は驚いた。
「君は誰なんだ!」
久司が叫んだ。

「実は…」
哲司は自分の身に起こったことを話した。
気がついたときには身体を動かせなかったこと。
そのときにはすでに未由季の身体に入っていたらしいこと。
未だに足が少し不自由なこと。
記憶障害ということで少々のことは記憶喪失で誤摩化せることなど。
「マジ…なのか?」
「俺だって信じられないよ。しかし実際俺の身の上に起きているんだから信じざるをえないだろう」
「本当に哲司なのか?」
「だからそうだって言ってるだろう」
「信じられない…」
久司は黙りこくった。

「なあ、お袋にあんたの息子は姿を変えて生きてるって教えてやろうか」
哲司はそんなことを言い出した。
「それはよせ。そんなことしたって未由季さんに馬鹿にされたと感じるだけだろう。本当にお前のことを恨んでしまうかもしれない」
「だったらどうしたらいいんだ。俺だって好きで未由季の姿になったわけじゃないのに」
「お前は未由季さんの振りをし続けるしかないだろう」
「そんなこと言ったって…」
「今日は一回帰れ。また相談しよう。今度来る時は事前に俺に連絡をくれ」
哲司は一度未由季の家に戻った。

「ただいま」
哲司が帰ると、山岸家の全員がすでに食卓についていた。
「主役のくせに帰ってくるのが遅いんだから。片岡さんのところで、何かあったの?」
「ううん、何も。それで主役って何?」
「だって今日やっとあなたが退院して我が家に戻ってきたのよ。お祝いしないでどうするのよ」
「あ…そうか。それもそうね」
「それじゃ座って座って。早く食事にしましょ」
母親の久恵に促されるまま、哲司はおとなしく座った。

食卓には和洋折衷様々な料理が並んでいた。
ハンバーグに青椒肉絲、出し巻き卵に揚げ出し豆腐、鶏の唐揚げと肉じゃが等々。
「おいしそう」
哲司は青椒肉絲を手元の皿に取った。
そして今の姿を忘れて手当り次第に食べた。
「おいしい」
そんな哲司の姿を家族の皆は唖然と見ていた。
空腹のため食べることに集中していた哲司だったが、ふとそんな皆の視線に気づいた。
「ど…どうしたの?みんな食べないの?」
哲司は戸惑いながら誰となく聞いた。
「未由季、いつもダイエットダイエットって言ってそんなに食べないのに大丈夫なの?」
久恵がそう言った。
「え…あ…そう…なの?」
「それにピーマンはあまり好きじゃなかったのに」
「いや…これは……」
哲司は言い訳を必死に考えた。
「病院食だと好き嫌いなんて言えないでしょ?食べないとお腹減るもの。ピーマンも食べてるうちにおいしいなって思うようになったの」
「へえ、そうなの。入院が長いのもいい面もあるのね。未由季がピーマン食べれるようになるんだから」
ようやく皆が食事を始めた。

哲司は久しぶりに腹いっぱい食べた。
食後に出てきたケーキまでたいらげた。
未由季の身体が太ったら俺のせいかも…。
明日からは少しは控えないといけないな。
そう思いながらも、とりあえず今日はいいか、と思うことにした。


哲司はまだ満足にオナニーをしたことがなかった。
乳房に触れる程度ならあった。
女性器には軽く触れたことはあったが、最初はほとんど感じることはなかった。
足が悪かったときだったので、下半身が不自由なひとつの症状だと考えていた。
かなり歩けるようになったときに一度触れたときに強烈な電流が走ったことに驚いた。
女性の快感は男のそれに較べて何倍も強烈らしい。
興味がなくもなかったが、あまり触っているとはまりそうで恐かった。
意を決して今日の昼間風呂場で触ろうとしたが、母親という邪魔が入った。
あらためて夜にしようと思ったが、一度萎えた気持ちは盛り上がることはなかった。
(兄貴にばらしちゃったけど、大丈夫だよな)
自分の正体をばらしたことが気になっていたせいかもしれない。
少しばかり不安に思わなくもないが、くよくよしてても仕方がない。
今日はもう寝よう。
そう思った途端、疲れがたまっていたせいかすぐに熟睡することができた。


次の日、朝食を食べるとすぐ哲司は久司にメールを入れた。
『今日も行こうと思うんだけど、いいかな?いつごろに行けばいい?』
すぐに久司から返信が返ってきた。
『今日はちょっと出掛けてるんだけど3時までに帰る。3時すぎに来てくれ』
まだ朝の10時過ぎだ。
5時間近く何をしてようか。
そう思ったときに自分の恰好が気になった。
今はパジャマだが、当然着替えないといけない。
昨日と同じ服装というわけにはいかないだろう。
男のころは服装なんてほとんど気を使わなかったが、女性としてはそういうわけにはいかないのだ。
未由季の名誉のためにもある程度きちんとしたほうがいいだろう。
哲司は服を選ぶことにした。

あらためて未由季の部屋のクローゼットを見ると、服は数え切れないほどあった。
どんな服装がいいのだろう。
迷い出すと分からなくなってきた。
白いブラウスと紺のスカート?
何だかおかしいような気がする。
可愛いプリントTシャツにジーパン?
自分の家にいるんだったらいいけど、やっぱり失礼かもしれない。
いろいろ迷った末、昨日より少しカジュアルな服装にすることにした。
ボーダーのワンピースにピンクのカーディガン。
未由季がデートのときに時々着ていたものだ。
結構可愛くて哲司が気に入っていたものだ。
結果的に自分でコーディネートをするよりは無難なものを選んだのだ。

服が決まると、顔のことが気になった。
昨日は口紅だけで誤魔化したが、今日は幸いにして時間がある。
哲司は化粧に挑戦することにした。
どうせこれから先やらなければならないことだ。
少しずつ慣れていこう。
哲司はネットで化粧のやり方を調べた。
目の化粧が一番難しかった。
見慣れた未由季の顔にはなかなかならなかった。
化粧するより何もしないほうがいいくらいだった。
それでも10回以上チャレンジしていると何となく見られる出来映えになった。
そのときには時間もちょうどいい頃になっていた。


「こんにちは」
元の家に着くと、すぐに久司が顔を出した。
「よっ、来たか。それじゃ入れよ」
久司の言い方は哲司に対する言い方だった。
未由季に対してそんな話し方をしたことがなかったのに。
「今は未由季なんだから、もう少しそれらしく話してくれよ」
哲司は周りに聞こえないような小声で久司に言った。
「ああ、そうだな。そうじゃないと確かに不自然だもんな」
久司に続いて哲司は家に入った。
「お袋、未由季さんが来たんで、哲司の部屋で話してるから、お茶でも持ってきてくれよ」
母親と目があったので「こんにちは」と会釈した。
「あら、いらっしゃい。今日もいらしたの?」
その言葉には答えずに、元の自分の部屋に入った。

母親はすぐにお茶を持ってきてくれた。
「哲司のことを思っていてくれるのは嬉しいんだけど、未由季さんには未由季さんの生活があるんだからもうあの子のことは忘れて」
「えっ?」
いきなりの母親の言葉に驚いた。
「あなたの顔を見ると、あの子が死んだときのことを思い出すからもう来ないでほしいの」
「そんな……」
「お袋、そんな言い方は失礼だろ。未由季さんだってつらいんだ」
「だからあの子のことは忘れてくれていいって言ってるんじゃない」
その後は母親と久司の言い合いが続いた。
哲司は母親が考えていることが分かり、ショックだった。
無意識のうちに涙がこぼれた。

「ほら見ろ。そんな言い方するから、未由季さんが泣いてるじゃないか。とにかく少しの間出て行ってくれよ」
その後もしばらく母親は言いたいことを言い続けていたが、やがて諦めたように出て行った。

「悪かった。お袋の奴、こういう状態なんだ」
そう言われても言葉なんか出せる状況ではなかった。
哲司は自分でも意識していないうちに泣きじゃくっていたのだ。
未由季の身体になったせいで涙もろくなっているのかもしれない。
決して自分が弱くなったんじゃない!
涙を流しながらそんなことを思っていた。

すると久司が優しく抱き締めてくれた。
髪を撫でられると何となく安心できた。
「お袋のことは気にしないでこれからもいつでも来ていいぜ。この部屋はお前の部屋なんだからさ」
哲司は久司の言葉が嬉しかった。

哲司はおとなしく抱き締められていた。
抱き締められているうちに、哲司は久司のペニスが大きくなっていることに気づいた。
だがそれについて何も言わなかった。
ただただ久司の腕の中で泣きじゃくるだけだった。
結局その日は久司に家まで送ってもらっただけで、ほとんど話ができなかった。

(兄貴はああいうふうに言ってくれたけど、もう家には行かないほうがいいんだろうな)
哲司はそう決心した。


もう家には行かない。
そう決めたつもりだが、気持ちはかなり揺れていた。
やはり自分の母親に恨まれていることを知って、かなりショックだったのだ。
ベッドに入っても、そんなことを悶々と考えていた。
(兄貴に抱かれると何か安心感があったよなぁ)
ふとそんなシーンを思い出したときに久司の股間が大きくなっていたことを思い出した。
(俺って兄貴に女として見られてるんだ…)
そう思うと、頭の中に久司の股間の膨らみのイメージが浮かんできた。
そしてそれが頭から離れなくなった。

無意識のうちに右手をショーツの中に入れていた。
そして左手は乳房に…。
「あっ…はぁぁ……」
自分が漏らした甘い声を聞いて我に返った。
(俺は何てことをしてるんだ。兄貴のことを考えてオナニーするなんて)
身体が女になっているせいだ。
きっとそうだ。
哲司は頭から布団を被って、無理にでも寝ようとした。


次の日も一日悶々していた。
まだ身体が本調子でないため、自由に遊びに行くこともできなかった。
部屋で一人ストレスを溜めるしかなかった。
(未由季のままでいるってことは、そのうち誰かと結婚しなくちゃいけないんだろうな)
一人でいると考えがおかしな方向へ向かってしまう。
(全然知らないやつより兄貴のほうが気楽でいいかもな)
そしてまたあのときの股間の膨らみが頭に浮かんだ。
そんなことを考えながらクリトリスに触れた。
「ぁ…ぃぃ……」
あと少し、あと少しと続けていると、その行為をやめることができなくなっていた。
こんなことをしていてはダメだ。
この行為から抜け出せなくなってしまう。
そう思うのだが手が止まらなかった。
股間が湿り気を帯びてきた。
入れてみたい。
そんなことしたらますます深みにはまってしまう。

……結局深みにはまった。
哲司は久司を思い浮かべながらオナニーに励んだ。
しかしいくら指を出し入れしても満たされない。
哲司はオナニーに疲れて眠ってしまうまで自分の性器をもてあそんでいた。

こんな心理状態で久司に会うと自分が暴走しそうな気がした。
だから毎日のように久司からメールが届いたが、あえて返事は返さなかった。
そしてそのまま何もなく3日が過ぎた。

その夜、久司から電話があった。
『おい、哲司か?』
「あ、うん」
そう返事しながら少しときめいている自分がいることに気がついていた。
『どうして返事くれないんだ?』
「体調が悪かったんだ」
『まだ事故の後遺症があるのか?』
「うん、まあ、そんなとこ」
『そうか。それじゃあんまり無理できないな。飯でも食いに行こうかと思ったんだけど』
「えっ、そう…なの?」
『行くか?』
「うん、行く行く」
『なら明日の11時に迎えに行くからな』
「分かった」
電話を切ると、今まで悶々としていたのが嘘のように気持ちが軽くなっていた。
こんな気持ちになったのは明日美味しい物を食べに行けるからだ。
哲司はそう自分に言い聞かせていた。


次の日、哲司は朝早くから目が覚めてしまった。
久司に会うことに対して、興奮しているのかもしれない。
寝ている間にかいた汗の臭いが気になった。
それを洗い落とすために、シャワーを浴びた。
何を着て行こう。
哲司はバスタオルを身体に巻き、服を選んだ。
少しでも可愛く見えるものがいい。
だから、ミニスカートを選んだ。
オフホワイトのフレアスカートだ。
膝上20センチの短さだ。

少し恥ずかしいような気がするが、男はこれくらいのミニスカートには弱い、はずだ。
サーモンピンクのシフォンブラウスを合わせた。
下着はピンクで揃えた。
そして選んだ服を着た。
なかなか可愛い。
これなら久司の気がひけること請け合いだ。

バッチリ化粧を整えたころ、家の前に到着したと久司からメールが来た。
窓から覗くと久司の車が停まっていた。

「お母さん、ちょっと出掛けてくるね」
哲司は母親の久恵に声をかけた。
「あんまり無理しちゃダメよ」
「分かってるって。じゃ、行ってきまぁす」
哲司は少しヒールのある靴を履いた。

哲司は久司の車に駆け寄り、すぐに助手席に座った。
「何だよ、わざわざメールをよこすなんて。普通に呼んでくれればいいのに」
「あんまり女性の家まで迎えにくるっていう状況に慣れてないからさ」
「兄貴は人間付き合いがうまくないからな」
「まあな。で、どこ行く?」
「とりあえず海の見えるところに行こう」
久司はすぐに高速道路に入った。

「なあ、兄貴、俺のこと、どう思う?」
哲司は運転している久司に聞いた。
「どうってどういうことだよ?」
久司はまっすぐ前を見たまま答えた。
「俺ってたぶん誰がどう見ても山岸未由季、だろ?」
「ああ、そうだな。それが?」
久司は哲司をチラッと見た。
「俺が未由季ってことは女だってことだ。ということは、いつか結婚して子供を産んで、みたいな人生を周りは期待してるってことだよな?」
「そう…かもな…」
そこで少し間があった。
「兄貴は俺を抱けるか?」
哲司は意を決して聞いた。
「な…何を言い出すんだ!」
久司は哲司のほうを見た。
その瞬間運転がおろそかになった。
「危ない!前見ててくれよ」
「あっ、わりぃ。そんなら、そんなこと急に言い出すなよ」
「聞いてみたかったんだよ。で、どうなんだ?無理だよな、やっぱり。見た目は女でも、中身が実の弟だって分かってるんだから」
「そんなこと、……ないさ」
「なら証拠を見せてくれよ」
「証拠?」
「今からホテルに行って、俺を抱いてくれよ。できるんだろ?」
「何言ってるんだ、お前は。本気か?」
「ああ、本気だ。だからホテルに行ってくれよ」
久司は黙って目的地をホテル街に変えた。

二人はホテルの部屋に入った。
哲司は心臓がバクバクしていた。
やめるなら今のうちだ。
そう考える一方、もうすぐ抱いてもらえる。
そんな期待もあった。
不安と期待が哲司の胸の中には混沌と入り混じっていた。

「哲司、本当にいいのか?」
「……ああ」
哲司はまだ決心がついたわけではなかったが、そう返事せざるをえなかった。
そんな哲司に対して久司がキスしようとしてきた。
哲司は押し退けるように久司から逃れた。
「わりぃ。さすがにキスする勇気はない」
哲司にとっては男同士でキスするような感覚しかなかった。
だからさすがにキスするのは避けたかったのだ。
「そうか。それじゃキスはなしだな」
そう言って久司は次の行動に移った。

久司は哲司のブラウスを脱がせようとしたのだ。
「皺になるから自分で脱ぐ」
自分がそんな感覚になることが不思議だった。
服の皺なんて人生の中で意識したことなんてなかったのに。
これも未由季の身体になったためなんだろうか。
そんなことを考えながら、哲司はブラとショーツだけになった。
哲司が服を脱いでいる間に、久司もブリーフだけになっていた。
そして兄弟が向かい合った。
そんな状況に哲司は急に恥ずかしくなってきた。
「なあ、兄貴、やっぱりやめないか?」
哲司は視線を落とした。
そこには大きく屹立している久司のイチモツがあった。
「何言ってんだよ、この状態でやめれるわけないだろ」
確かにその通りだ。
哲司はそもそも男だったわけだから、よぉく理解できた。
理解はできるのだが…。
「弟だぜ」
「俺から見ればお前は山岸未由季だ」
そうしてやや強引に久司の手がブラジャーの中に滑り込んできた。
そして乳首を軽く摘まれた。
「あんっ」
哲司の口から甘い声が漏れた。
そんな声に哲司自身が驚いた。
「可愛い声、出すじゃん。どこが弟なんだよ」
久司は覆い被さるようにして哲司をベッドに押し倒した。
久司の体重が全部のっかかって重い。

「兄貴、重い」
そんな哲司の唇が塞がれた。
キスされたのだ。
「ん…んん……」
哲司はキスから逃れようともがいた。
しかし、久司は唇を押しつけてきて、それはかなわなかった。

久司がキスしたまま、哲司のブラジャーをずらした。
そして右手の親指で乳首を転がすようにしながら乳首を揉んだ。
「…んん…んんん……」
胸を触られることで感じる快感。
しかしキスのために声が出せない。
さらには息すら満足にできない。
哲司は意識が薄れていくような気がした。

そんなとき、ようやく久司が唇を離した。
「やめて…くれ……」
哲司はそんな言葉だけを絞り出した。
久司は哲司の首筋に唇を這わせた。
くすぐったいような気持ち悪いような感じだ。
その間もずっと右手で乳房を揉まれた。
その右胸からは確実に快感が伝わってくる。
久司の口が少しずつ下がって、ついに左胸に達した。
乳首を吸ったり銜えられたりすると気が変になるほど強い快感がもたらされた。
気が変になりそうだ。
「あああ…、やめ…て…くれ……」
哲司は久司の頭を持ち、離そうとした。
しかしそんな抵抗では久司の行為を止めることはできなかった。

久司は哲司が感じていると思い、必要以上に乳首に吸ったり舐めたり銜えたりした。
おかげで感じることを越え、息苦しささえ感じるほどだった。
時々その対象を左右入れ替えた。
その微妙な間隔に一呼吸置くことができたのだ。
右胸と左胸で感じ方が違った。
右胸より左胸のほうが感じるのだ。
そのため右胸のときのほうがより苦しかった。
だから久司の口が下に下がっていたときにはホッとする反面少し残念な感じがした。

久司の手がショーツにかかった。
かと思うと、一気にずらされた。
「おいっ、いきなりか!」
そして右脚だけ脱がされた。
その結果左脚にだけショーツがかかっていた。

久司の手が膝の裏に当てられた。
そして哲司の脚を広げられた。
「あ……おい…何するん……」
言い終わらないうちに股間を舐められた。
「あんっ」
甘い声が漏れた。
「やめろ…。やめろって……」
久司はそんな哲司の声を無視して女性器に舌を這わせた。
割れ目を手で広げて、その中の小さな突起物の舐めた。
「んんっ」
強烈な感触だ。
気持ちがいいのか痛いのか分からない。
とにかく頭の中が真っ白になった。
自分が大声で喘いでいることにさえ気づいていなかった。
そうこうするうちに、何かが入ってくるのを感じた。
もちろん久司のペニスだ。
異物が自分の身体に侵入してくる感覚は思った以上に奇妙な感覚だった。
「ん…んんん……」
哲司は自分の腕を口に当てて、その感覚に耐えた。

「それじゃ動くぞ」
久司が哲司の表情を見ながら腰を動かした。
「ああ、すごい」
挿入時とは違い、すぐに快感が襲ってきた。
久司の腰の動きに合わせて哲司も腰を動かした。
そうすることで快感が強まるのだ。
「おおおおお…出るぞぉ……」
久司の動きが早まった。
「来てぇ」
久司が哲司の中で弾けた。
哲司はその瞬間軽く仰け反った。
そして哲司は久司を強く抱き締めた。
同時に哲司の女性器は久司のペニスから精子を絞り取るように強く締めつけていた。
女の感覚ってすごい。
確実にはまってしまうだろう。
そんな確信があった。

「弟を抱くなんて…、近親相姦だな」
哲司は自分が感じすぎていたことを隠すため、茶化すように久司に言った。
「何言ってんだよ。お前は哲司であって哲司じゃないんだぞ」
「そんなこと、言われなくても分かってるさ。俺にとっちゃ兄貴に抱かれたってことには変わりはない!」
「そりゃそうだろうけど…。そんなことより女ってやっぱり気持ちいいのか?」
「ああ、すごいぞ。まだ余韻が残っているしな。もう一回できるんならもう一回やりたいくらいだ」
冗談っぽく言ったが、かなり本気だった。
「だったらやろうぜ」
「できるのか?」
「ああ、それが俺の自慢だからな。3回はいけるぞ」
「ならやろうか」
「その前に頼みがある」
久司が哲司を見つめた。
「何だ?」
「未由季さんになり切ってくれないか?」
「は?」
「未由季さんらしく女の子っぽくしてくれよ」
「やだよ、そんなの。恥ずかしいだろ!」
「だったらやってやらないぞ」
「いいよ。そんなことまでしてやってもらおうなんて思わないから」
「そんなこと言うなよ、頼むよ」
「無理なもんは無理。絶対にやだ!」

そんな問答があった末、結局もう一回突かれた。
もちろん哲司は未由季っぽくは振る舞わなかった。
そんな恥ずかしいことはできない。
それでも女性として感じることができた。
身体はかなり疲れ切っていた。

(あれ、何かおかしい…)
哲司は下半身に違和感を覚えた。
鈍い痛みがある。
そして何かが流れ出したような感覚があった。
セックスのせいで気だるくなった上半身を起こし、自分の下半身を見た。
シーツに血がついていた。
(何だ、この血は?)
股間から血が出ていて、それがシーツを汚していたのだ。
「もしかして……初めてだったのか?」
シーツについた血を見て久司が聞いた。

「そりゃ俺は初めてだけど、未由季としては初めてじゃないけど…」
「お前ら、そういう関係だったのか?」
「…悪いかよ。俺たち、もう子供じゃないんだぜ」
「だったらその血って何だ?生理なのか?」
哲司はどう返事していいのか分からなかった。
「女の生理って初めて見た…」
久司は生理だと決めつけていた。
本当に生理なのだろうか?
哲司は未由季になってからずっと生理なんてなったことはなかった。
今回のセックスのせいで膣の内側を傷つけたのかもしれない。
そのほうがずっと可能性が高いような気がする。
せっかく助かった生命を失ってしまうかもしれない。
調子にのって2回もやるんじゃなかった。
今さら後悔しても遅いが。
もしもこの血が止まらなかったマジで生命の終わりかもしれない。
そんな恐怖を感じながらも、そのことを久司には言えなかった。

「どうした?何か顔色悪いけど」
久司は哲司の顔を覗き込むように言った。
「あ、いや、大丈夫だ。生理のせいだと思う」
「そうか。もうお前は女になってかなり経つしな。生理くらいでジタバタするわけないか」
久司にとってはこの出血は単なる生理なのだ。
哲司にとっては生命にもかかわる原因不明の謎の出血だったのだが。

「生理用品はないのか?」
血を流したままにしている哲司に呆れたように久司が聞いた。
「……そんなもん持ってきてるわけないだろ」
「じゃあどうするんだ?」
「兄貴が買ってきてくれよ」
「嫌だよ、そんなの。お前も男だったんだから、女の生理用品なんか男が買えないことくらい分かるだろ?」
「分かるけど、俺が血を流して買いに行けるわけがないだろう」
二人はつまらない言い合いを続けていた。
結局久司がフロントに電話をして、ホテルのスタッフの人からナプキンをひとつ分けてもらった。

哲司は手に入れたナプキンとショーツを持って、浴室に入った。
そしてシャワーでセックスの痕跡を洗い流した。
股間からは久司の放った精液とともに血が流れ続けた。
(マジでやばいかな)
病院に行くなんて考えはまったくなかった。
もし生理だったら恥ずかしいし。
哲司は死の恐怖を感じながらも、生理かもしれないという可能性にかけていた。

ショーツにナプキンをつけて穿いた。
ゴワゴワして何とも気持ち悪かった。

「明日も会えるかな」
帰る途中の久司の誘いを哲司は簡単に断った。
とてもそんな気になるわけはない。

結局出血は4日目ほどにはかなり少なくなった。
6日目にはまったく出血が止まった。
まさに生理みたいだ。

出血が止まっても久司の誘いには乗らなかった。
セックスは確かに気持ちいい。
しかしまた出血があれば、また不安な日々を過ごさなくてはいけない。
前回出血があってから28日目また出血が始まった。
そしてまた4日ほどでほとんど止まった。
これは九分九厘生理だろう。
哲司の身体がようやく女性としての機能を再開したのだ。
無防備にセックスしていたら不本意な妊娠をするかもしれないということだ。
哲司はあらためて自分が女になったことの重みを感じていた。

哲司は自分の身に起こった生理らしき周期的な出血をプラスに考えようと努めていた。
自分は健康な女性なんだ。
だから月に一度の生理は当たり前のことなんだ。
そう思うように意識していたのだ。
そのおかげで幾分それが真実であるように思えるようになっていた。


「未由季、生理が終わったんだからいいだろ?」
この頃には久司は哲司のことを『未由季』と呼んでいた。
哲司は久司のことを『久司さん』あるいは『お兄ちゃん』と呼んでいた。
ある程度女性としての言葉遣いや振る舞いも身についていた。

「その代わりちゃんと避妊してくれる?」
気持ちに余裕が出てきたせいで本心はセックスしたかった。
しかし二つ返事でそんなことを言うのも癪だった。
そんな微妙な葛藤があり、少し条件をつけることにしたのだ。
「最初のときはそのままやらせてくれたじゃないか」
「それは…」
哲司は言い訳のための考えを巡らせた。
「それは生理が近かったから……大丈夫かなって思って」
「その割には生理用品を持ってなかったけど」
「そんな細かいこと別にいいだろ!」
思わず男の部分が顔を出した。
「それじゃ今日は生理が終わったばかりだから大丈夫なんじゃないのか?」
「そう……なの?」
「今日は親父もお袋も留守なんだ。家に行こうぜ。金もないし」
「それが本音なんでしょ?」

家に着くと、まっすぐ久司の部屋に行った。
「ちょっと待ってくれ。ちょっと片付けるから」
「そんなこと別にいいでしょ。元・弟なんだし」
「ちょっとだけだから」
久司が部屋に入って中で何かしている音が聞こえてきた。
数分後にドアが開いた。
「いいぞ、入ってくれて」
部屋に入ると少し片付いているような感じがしたが、見慣れた久司の部屋の様子だった。
「何してたの?」
しかし哲司の言葉は無視され、すぐに抱き締められた。
「そんなにがっつかないでよ」
「久しぶりなんだから仕方ないだろ。未由季がやらせてくれなかったせいだよ」
哲司の手を取り、自分の股間にあてさせた。
「大きくなってる」
哲司はズボンの上から久司のペニスを触った。
「未由季の口でやってくれよ」
「やだよ。絶対無理」
久司の無茶な要求に哲司は男に戻ってしまった。
「未由季は女だろ?女だったらしてくれてもいいじゃないのか?」
「兄貴はエロビデオの見過ぎなんだよ。女が誰でもチンポを銜えるってあり得ないって。そんなことばかり言うんだったら帰るぜ」
「悪かったよ、もう言わないよ」
哲司は急に久司のことが可哀想になってきた。
「それじゃ手でやってあげるから寝て」
久司はすごい勢いで全裸になって、仰向けで寝た。
男って本当に馬鹿だ。
久司の姿を見て心底そう思った。

哲司は服を着たまま、久司に近づいた。
「服を脱いでくれよ」
「そんなこと別にどっちだっていいでしょ?」
右手で屹立している久司のペニスを握った。
「すごく硬くなってる」
哲司は親指の腹でペニスの先を擦った。
「んん、気持ちいいぞ……」
「でしょ?」
久司の表情を見ながら哲司は久司のペニスを擦った。

哲司はペニスに唾を垂らした。
そして唾のついたペニスを手の中で弄んだ。
「わたしの唾で触られてるんだから、フェラみたいなもんでしょ?どう?」
「ああ、すごく気持ちいい」
久司のペニスの先から粘液が出てきた。
「入れたくなってきた?」
「ああ、すぐにでも入れたいよ」
「だったらわたしが入れてあげるね」
哲司は右手でショーツを下げた。
そして久司の腰の辺りにまたがった。
膣口をペニスの先にあてがい、ゆっくりと腰を沈めた。
「あああ…気持ちいい……」
銜えている部分はスカートで隠れて見えないが、哲司の女性器が久司のペニスを全て銜え込んだ。

「動くぞ」
久司が腰を突き上げるように腰を動かした。
「ああ…いい……」
哲司は服の上から自分の乳房を揉んだ。
久司が下から哲司の服を脱がせようとしたが、うまく脱がせられなかった。
哲司は下から突き上げられながら服を脱ごうとしたが、なかなかうまく脱げない。
突き上げられることで身体が安定しないし、感じてしまいうまく指が動かないのだ。
しかし何とか悪戦苦闘して、ようやく服を脱ぐことができた。
服を脱ぐと、すぐに久司がブラジャーを外して、乳房をわしづかみにした。
「痛いっ」
哲司は急な痛みに久司から身体を離した。

「四つん這いになれよ」
久司が命じた。
哲司はおとなしく言われた通りベッドの上で四つん這いになった。
腰の辺りを掴まれて微妙に位置を変えられた。
そして強い力で引かれたかと思うと、再びペニスが入ってきた。
乳房が重力で下に垂れていた。
久司に突かれる度に乳房が激しく揺れた。
頭の中は真っ白だ。
神経は子宮の辺りに集中している。
子宮が突かれることを強く感じていた。
やがて久司が精液を放った。

哲司が布団に顔をつけたまま肩で息をしていると、久司に身体の向きを変えられた。
仰向けにさせられたのだ。
そして両脚を担がれたかと思うと、すぐに挿入された。
「もうやめて……」
これ以上やられるとどうにかなってしまいそうだ。
哲司は久司から逃げようとした。
しかし身体には全く力が入らなかった。
正常位で久司に突かれ続けた。
哲司は狂ったように声をあげていた。
声をあげることで本当に狂わないようにしているかのようだ。
それからのことは記憶になかった。
気がつくと久司に身体をしっかり掴んでいた。
女の快感はセックスの後もずっと続いている。
哲司は快感の波にさらわれてしまわないように久司の身体にしがみついていたのだ。
右手は久司のペニスに重ねていた。
無意識の行動だったが、それだけセックスにはまってしまったと考えることもできた。


それからも哲司は久司とデートした。
デートといっても映画やドライブしている時間よりも身体を重ねている時間のほうが長かった。
二人の交際は周りの周知の事実になっていた。
このことについて久司の両親(特に母親)はあまり良くは思っていないようだった。
未由季の両親がどう思っているかは分からないが、娘が元気を取り戻したことについては喜んでいるようだった。
しかし肝心の哲司自身、久司のことを愛していることに対して自信を持てなかった。
単に女性としてのセックスにはまっているだけのような気がしてならなかったのだ。


そんなある日のことだった。
「よぉ!」
久司と歩いているときに久司の友達らしきグループに声をかけられた。
「片岡、お前、最近つき合い悪いと思ったら、この彼女とつき合ってるんか」
久司は積極的に肯定するわけでもなく曖昧な笑みでごまかした。
するとそのうちの一人が小声で「お前、前から未由季ちゃんのこと狙ってたもんな。うまくやったな」と言った。
哲司に聞こえないように言ったのかもしれないが、哲司の耳に届いてしまった。
狙ってた?
どういうことだろう?

そのグループから解放されて、しばらくしてから久司に聞いた。
「ねえ、お兄ちゃんってずっとわたしのことを……」
できるだけ自然な感じで聞いてみた。
「うるさいな。あんな奴らの言ったことなんか気にするなよ!」
久司はかなり神経質な反応を示した。
「でも気になるし……」
「だから気にするなって言ってるだろ」
久司はかなり不機嫌だった。
これは何かある。
疑いを持つには充分だった。


哲司はその夜友達の亜弓に電話してみた。
「もしもし、亜弓」
『どうしたの?未由季から電話なんて珍しいわね』
「実はちょっと気になることがあって」
『ん?何?』
「実は最近哲司くんのお兄さんとつき合い始めたんだけど、ちょっと気になることがあって。もしかしたらわたしの記憶に残っていないときに何かあったのかなと思って」
『えっ、あのことも覚えてないの?前、哲司くんのお兄さんなの?前、乱暴されそうになったって言ってたじゃない』
「えっ、そうなの?」
『全然覚えてないの?』
「うん、だって今は優しいし」
『それは未由季が優しいからよ。でも話がこじれると豹変するわよ、きっと。やめたほうがいいって。絶対、彼、やばいって』
「その乱暴されそうになったっていつの話?」
『例の事故の一ヶ月くらい前に聞いたんだと思うけど』
「そう…。ありがとう、教えてくれて」
『もう一回言うけど、本当にやめたほうがいいと思うわ』
「うん、よく考えてみる」
そう返事したが、考えるより久司に直談判するほうが早道だろう。
次に会うとき、久司に聞いてみよう。
哲司はそう思った。

次に久司に会ったとき哲司は開口一番に聞きたいことを聞いた。
「なあ兄貴…」
「何だよ、男の話し方になってるぞ」
素の哲司としてでないとこれから聞きたいことは聞けない。
「兄貴って未由季のことを襲ったんだってな」
「誰がそんなことを」
「誰だっていいだろ?それよりどうなんだ?襲ったのか?」
「襲ったっていう言い方は物騒だろう。ちょっと強引に告白しただけだよ」
「弟がつき合っていることは分かってたんだろ!」
「誰かとつき合っているかどうかなんてことを気にしてたら、誰にも告白なんかできないだろうが」
「そんなことを問題にしてるわけじゃない。兄貴が未由季を襲ったことを問題にしてるんだ」
「うるさい奴だな。そんなこと言ってもお前はもう俺なしでは生きていけないんだよ」

久司の手が哲司の頬にヒットした。
哲司はその拍子に床に倒れた。
倒れた哲司に久司が覆い被さってきた。
「やめろ!」
哲司は久司から逃げようともがいた。
しかし久司は3度哲司を殴り、服を剥ぎ取った。
さらにスカートを破き、ショーツを無理やり脱がせた。
「やめろ、やめろってば」
哲司は脚をばたつかせた。
久司は哲司の腹に拳の一撃を加えた。
「うっ」
あまりの痛みに哲司の動きが止まった。
久司は哲司の股間に手をあてた。
「ぜんぜん濡れてないな」
そう言って久司は手に唾をつけ、それを哲司の女性器に塗りたくった。
そしてズボンとトランクスを脱ぎ、そのままペニスを一気に突き立てた。
「痛いっ」
あまりの痛みに声を出した。
「さすがに濡れてないと入れにくいな」
そう言いながらも、ゆっくりゆっくりペニスを押しつけてきた。
「…ぃたぃ……」
哲司は痛みと悔しさから涙が零れた。
「そんなこと言いながら、感じてるんだろ?」
久司はゆっくりゆっくり腰を打ちつけた。
最初は痛みだけしか感じなかったが、やがて湿った音が部屋に響き出した。
クチュクチュクチュクチュ………。
(くそっ、無理やり犯られてるのに感じてしまう……)
自分の身体を傷つけないように愛液が出てしまう。
すると痛みより快感を覚える。
そんな女の身体を恨めしくさえ思った。
やがて久司が哲司の中にぶちまけた。

「どうだ、何だかんだ言っても俺のチンポでお前は感じてしまうんだ。お前はもう俺の女なんだから、グタグタ言うな」
そんな久司の言葉を哲司は無視した。
「もう兄貴には会わない。今日で終わりだ」
哲司は疲れた身体を起こし、床に落ちていた服を着始めた。
一部は破けていたが、そんなことは気にせずに着た。
「お前は俺とは別れられない。もし別れると言うのなら、お前とのセックスの動画をネットに流すぞ」
「いつの間にそんなものを…」
久司がそこまでする男だとは思ってもみなかった。
「俺の部屋にビデオを仕掛けておいたんだよ。切り札はいつでも持っておかないとな」
そう言えば片付けるためとか言って少し待たされたことがあったっけ。
ビデオを仕掛けてたのか…。
どこまで卑劣な人間なんだ。
哲司は怒りで全身が震えた。
「流したければ勝手に流せよ」
哲司は部屋から出ていこうとした。
「待…待て!」
「流すんなら勝手に流せって言ってんだよ」
振り返らずに哲司が言った。
「お前がセックスしている姿が全世界に流れるんだぞ」
「流した人間が最低の人間だってことも流れるんだ。俺はそれでいい」
「お前が良くても亡くなった未由季さんはどう思うかな?お前のわがままのせいで、死んでも死に切れない思いになるんじゃないか」
「未由季は俺だ。俺がいいって言ってるんだからそれでいいんだ。自分の意思に背いて最低の人間の脅しに屈するほうが未由季もつらいに違いないしな」
「強がりやがって。今はお前も頭に血が上ってるんだ。…一晩考える時間をやろう。どうするのがいいか頭を冷やして考えるんだな」
「そんな時間はいらない。兄貴とはもう会わない!」
「…そんなこと言うなよ。動画なんか流さないからさ」
哲司の強い意志の前に久司が急に弱気になった。
「お前みたい最低の人間に抱かれてたんだと思うと反吐が出るぜ。それじゃあな」
哲司は久司を軽蔑した。
こんな最低な男だとは思わなかった。
自分は女として男を見る目がないんだ。


翌日久司が車に轢かれたという電話が片岡家からあった。
哲司にあそこまで言われて自棄酒を飲んでいたらしい。
それで車道に飛び出し、車に轢かれたとのことだ。
車はそのまま逃げ、今捜査中だそうだ。
久司は3日後に死んだ。
ネットに動画が流されたかどうかは分からない。
そんなことより、哲司はますます片岡家に行けなくなった。
哲司に続き久司まで死なせたように思われていたからだ。


哲司はほとんど外出しなくなった。
未由季になってからは遊ぶ相手は久司だけだった。
そのため特別に仲のいい友達はいなかった。
久司に続く恋人はもちろんいなかった。
一緒に遊ぶ相手がいなかったから外出する必要がなかったのだ。
そしてひとりで出掛ける気にもならなかった。
このまま誰からも誘われずひとりぼっちの人生が続くのだろうか。
それも仕方ないかもしれない。

一方、家の中だけ毎日を過ごす娘に対し当然家族は心配していた。

「姉ちゃん、入っていいか?」
哲司がベッドに寝転んでYUIの曲を聞いていると、弟の泰之の声がドアの向こうから聞こえた。
「ええ、いいわよ」
そう言って上半身を起こした。
「姉ちゃん、大丈夫か?」
「何が?」
「何がっていろいろあって精神的に参ってるんだろ?」
泰之は家族の中でも最も姉のことを心配してくれていた。
そんなことは分かっていた。
分かっていたのにひとりで塞ぎ込んでいたのが恥ずかしくなった。
哲司の目から一粒涙がこぼれた。
それを見た泰之が哲司を抱き締めた。
急なことで驚いたが、哲司はそのまま抱かれていた。
すると涙が止まらなくなった。
哲司は泰之の腕の中で涙が枯れるまで泣いた。

ようやく落ち着きを取り戻すと、哲司を抱き締めたまま泰之が呟いた。
「なあ、俺が姉ちゃんの相手になるってのは無理かな」
哲司は驚いて哲司から放れた。
「相手って何よ!」
「俺が姉ちゃんの恋人になるってことさ」
「何言ってるの!あんた、わたしの弟でしょ?」
「だって本当の姉弟じゃないし、法律的には結婚できるって聞いたぜ」
「えっ、どういうこと?本当の姉弟じゃないって」
「何言ってんだよ。そんなことも覚えてないのかよ。父さんと母さんは再婚で、俺は母さんの連れ子、姉ちゃんは父さんの連れ子だろ?思い出したか?」
哲司は首を強く横に振った。
そうだったのか。
そんな事情は全く知らなかった。
「俺、ずっと姉ちゃんのことが好きだったんだ。でも姉ちゃんは片岡さんとつき合い出したし、俺も片岡さんのことが好きだったし、この人なら姉ちゃんを任せてもいいかなって思ってたんだ。でもあんな事故があって大丈夫かなって思ってたら、片岡さんの兄貴とつき合い出しただろ?なんかまずいことになりそうだなって思ってたんだ」
「そう…だったの…。ところでわたしたち本当に結婚できるの?」
哲司がまだ哲司だったころから泰之のことといいやつだと思っていた。
こいつなら信用できる。
自分の兄貴よりずっと。
「ああ、そうだと思う」
「思う?それじゃ調べてみよっか?」
哲司はPCを立ち上げ、インターネットで調べた。
いくつかのサイトを見てみた。
よく分からない書き方をしているサイトもあったが、基本的には婚姻届は受理されるようだ。
「本当に結婚できそうね」
哲司はそう言って泰之のほうを見た。
泰之はそれに答えず、ジッと哲司の顔を見ていた。
哲司も泰之の目をジッと見た。
何となくいいムードだ。
哲司は目を閉じた。
泰之の息を感じた。
キスされた。
哲司は泰之の首に腕を回した。
哲司のほうから舌を入れた。
泰之がひるんだように感じたが、一瞬だけだった。
泰之も哲司の舌に応じた。
二人の唾液が交じり合った。

泰之との長いキスが終わると、どちらからともなく服を脱ぎ始めた。
そして二人とも全裸になると、お互いを求め合い、そのままベッドに倒れ込んだ。
泰之は貪りつくように哲司の身体を求めた。
しかし泰之の前戯は稚拙だった。
乳房を掴まれたときは痛みすら感じた。
乳房を揉まれたが、単調であまり感じることはなかった。
そして哲司が乳首を感じることが分かると、単純に乳首ばかりを舐め続けたのだった。
苦しいくらいだった。
しかし泰之は哲司が苦しんでいることなどお構いなしだった。
ただただ乳首を舐め続けられた。

泰之の乳首への口撃のせいで、哲司の股間はおしっこをもらしたようにビショビショになっていた。
本当におかしくなりそうだった。
乳首ばかりを舐める泰之から哲司は逃げようともがいた。
逃げるために泰之の股間に手を伸ばした。
そこはもちろん大きく硬くなっていた。
哲司にペニスを握られたせいか、泰之は腰を引くようにして身体を離した。

「どうしたの?触られるの、イヤ?」
苦しさから解放された哲司は自分のペースに持ち込もうとわざとゆっくりと話した。
「ぃゃ…そんなことないけど」
「それじゃもう入れてくれない?これ以上胸ばかり攻められるとおかしくなりそう」
「うん、分かったょ…」
哲司は脚を広げて泰之の腰の辺りに脚をからめた。
そして泰之の挿入を待った。

しばらくその体勢のままでいた。
しかしなかなか挿入されなかった。
一旦脚を下ろし、泰之のペニスに手を伸ばした。
フニャッと柔らかい感触のものに触れた。
なぜか泰之のペニスは柔らかくなっていたのだ。
そんな状況に哲司は思い当たることがあった。
初めて未由季と結ばれるとき緊張のせいでなかなか勃起しなかったのだ。
「どうしたの?緊張してるの?」
「いや、そんなことないよ」
そう言って自分のペニスを急いでしごいた。
「泰之、もしかしてあんた童貞?」
「な…何言ってんだよ。そんなわけないだろ…」
「本当に?」
哲司の突っ込みに泰之が観念したように言った。
「え…ぅん……ないよ…」
そんな泰之の返事に哲司は精神的に余裕を持つことができた。
「だったらお姉ちゃんに任せて」
哲司は泰之を寝かせた。
そしてペニスを手に取った。
勃起しておらず先端には皮が被っている。
さっきまであんなに大きくて硬くなっていたのに。
哲司はペニスに顔を近づけた。
小便の臭いが鼻についた。
哲司はそれを口に含んだ。
初めてのフェラチオだ。
しかし意外と抵抗がなかった。
フェラチオなんてちょっとクセのあるガムを口に入れているみたいだ。
口の中でプニプニ動くのが面白い。
舌をからめたり強く吸ったり優しく噛んだりするといろんな反応が返ってくる。
そしてそんなことをしているうちにだんだん硬さを増してきた。

「これくらいならもうできそうね。来て」
哲司は両脚を大きく広げて仰向けになった。

泰之のペニスが入ってきた。
「んんん……」
久しぶりの挿入に哲司は少し違和感を感じていた。
確かに違和感はあるが、やっぱり気持ちがいい。
「姉ちゃん、入ったよ」
泰之が嬉しそうに哲司を見た。
「こんな状態で"姉ちゃん"はやめてよ」
"姉ちゃん"と呼ばれることで近親相姦のような後ろめたさを感じる。
そんな後ろめたさを感じると、気持ちのノリが悪くなってしまう。
そうなると感じるものも感じなくなってしまうのだ。

「姉ちゃんって呼ぶのがダメっていうのなら、どう呼べばいいんだよ」
泰之は拗ねたように言った。
「名前で呼んでよ。"未由季"って」
「それはちょっと…恥ずかしい…かもな……」
「"さん"づけよりいいでしょ?ごちゃごちゃ言ってないで言ってよ、さあ早く」
「……未由季…」
蚊のなくような声で絞り出した。
泰之の顔が赤くなった。
すごく照れているようだ。
「泰くん」
未由季が時々泰之のことを"泰くん"と呼んでいたことを思い出した。
だからそう呼んでみたのだ。
「やめてくれよ、その呼び方。俺がチビだったころのこと、思い出すじゃないか」
そして泰之の表情が歪んで「うっ…」と呻いた。
どうやら哲司の女性器が泰之のペニスを締めつけたようだ。
「どうしたの?」
自覚のない哲司はそんなことを言った。
「どうしたのって…わざとじゃないのか?」
「何が?」
「"何が"って…姉ちゃん、分かってやってるんじゃないのか…」
「だから姉ちゃんって言わな……きゃんっ!」
哲司が奇妙な声をあげた。
泰之が腰を動かしたのだ。
「姉ちゃんの…未由季の中って気持ちいい……」
泰之が気持ち良さそうな顔をして腰を動かした。
単調な動きだったがゆっくりペニスが膣壁を擦った。
「ぁぁ……ぃぃ………。泰之…もっと深く入れてぇ……」
哲司は無意識のうちにさらに強い快感を求めた。
そして哲司も同じように腰を振った。
「未由季、未由季、未由季………」
泰之が強く腰を打ちつけてきた。
「出そうだ…姉ちゃん……行くぞぉぉぉ……」
泰之が思い切り深くペニスを押し込んだ。
熱いモノが中に出された。
気持ち良かった。
これまでのどのセックスよりも。
哲司は泰之を抱き締めた。
そしてキスをした。

「ねっ、もう一回抱いて」
哲司は自然に泰之に甘えることができた。
こいつとならうまくいきそうだ。
哲司は自分の全てを委ねるように泰之に身を任せた。

一度抱き合ってしまうと歯止めがきかなくなる。
哲司と泰之はお互いを貪るように抱き合った。
しかし、ひとつ屋根の下で姉弟がセックスなんてことをしていると、そんなことはすぐにばれる。
十日程したある日、二人が抱き合っているときに父の卓三が部屋に入ってきた。
「なんてことをしてるんだ。お前たちは姉弟なんだぞ」
卓三が二人を叱責した。
「姉弟と言っても血のつながりなんてないじゃないか。何が悪いんだ」
泰之は怯まなかった。
二人の罵り合いはかなり続いた。
その間哲司は全裸のまま布団で身体を隠して二人を見つめていた。
「もういい。とにかく二人とも早く服を着なさい」
吐き捨てるように言って部屋を出て行った。

「泰之、どうする?お父さん、かなり怒ってるよ」
「あんなもん、勝手に言わせときゃいいんだよ」
「そんなこと言っても…」
「……姉ちゃん、こんな家、出よう」
「そんな……そこまでしなくても……」
結局泰之に言われるまま家を飛び出した。



電車で40分ほど離れたところに小さな住まいを構えた。
1LDKで申し訳程度のユニットバスがついている部屋だった。
家具なんてほとんどなかった。
それでも初めて持つ自分たちの城と言える部屋だ。
狭いけれど楽しい毎日だった。

泰之は近所のコンビニでバイトに励んだ。
哲司もスーパーのレジのパートに出るようになった。
もちろん父親のスーパーではなく、全国区の大手スーパーだ。
貧乏けれどそれなりに楽しかった。

もちろん哲司と泰之は毎日抱き合った。
最初のころの貪るだけのセックスではなくなっていた。
お互いを優しく包み込み、充分に愛を感じることのできるセックスだった。
そんな行為の中、哲司はフェラチオすることが好きになっていた。
口の中で微妙な反応するペニスが愛おしくさえ感じた。
泰之の出す精液でさえ飲み込むことができるようになった。
決して美味しいものではなかった。
それでも飲み込むことで泰之が嬉しそうな表情をすることに喜びを感じるようになっていた。

このまま本当に泰之と結婚してもいいかな。
そんなことを真面目に考えるようになっていた。

そんなある日、父の卓三がやってきた。
ちょうど泰之が出掛けて哲司ひとりのときだった。
「お父さん」
「ちょっといいかな」
哲司が返事する前に卓三は部屋に入ってきた。
部屋に入ると正座し、そして土下座した。
「未由季……いや、哲司くん、頼むから家に戻ってきてくれ」
「えっ!」
卓三の衝撃的な言葉に哲司の頭は真っ白になった。
「あ…あの……お父さん……それはどういう……」
この人は本当に自分の正体を知っているのだろうか?
いったい何を知っているというのだ?
どこまで分かっているのだろう?
もしかしたら自分の知らない事実も知っているのだろうか?
哲司は何をどう聞けばいいかすら分からなかった。
「哲司くん、今まで黙っていて悪かった。実は…」
卓三が説明した話はにわかには信じられないものだった。


哲司と未由季が事故にあった日、病院にかけつけた卓三が見たのはかなり危険な状態の二人の姿だった。
哲司は全身火傷を負っていた。
未由季にいたっては、頭に何かがあたったらしく頭蓋骨がへこんでいた。
そこからの出血もかなりひどかった。
医者からは手術するにも手遅れだと言われ、そのまま死ぬのを待つしかないような状態だった。
医学の素人の卓三が見てもそう思わざるをえない状態だった。
それでも卓三は娘を何とか助けて欲しかった。
子供が親より早く死ぬことほど親不孝なことはない。
未由季の頭部は目も当てられない状態だったが、身体はほとんど無傷だった。
身体だけ見ていれば、何とかすれば助かりそうな気がするくらいだ。
だからどんな博打のような手術であっても助かる可能性が少しでもあるのならやって欲しいと懇願したのだ。
すると、ある医者から提案があった。
「お嬢さんの身体はほとんど無傷ですから、深い傷を負った脳さえ代わりの物があれば生命を落とすことはありません。幸い男性のほうは身体は重度の火傷でどうしようもありませんが、脳は無傷です。お嬢さんの頭に彼の脳を入れればお嬢さんは助かる可能性があります」
普通のときなら『馬鹿なことを』と一笑に付すような話だろう。
しかし、そのときは藁にもすがりたい思いだった。
どんな僅かな可能性にもかけるしかなかった。
卓三は「お金はいくらかかってもいいからやってくれ」と依頼した。
その医者は成功したときの成功報酬はもちろん失敗してもそれなりの費用は請求すると言い、卓三はそれを了解した。
妻の久恵にはどんな手術なのかは内緒にした。

果たして手術は成功した。
未由季の生命は維持することになった。
しかし脳が身体の神経とうまくつながるかはこれからの状況を見守っていかなければ分からないとのことだった。
生命さえあればそれでいい。
未由季がどんな状態であっても生きてさえいてくれれば…。
卓三は最初そう思っていた。
しかしずっと寝たままの娘の顔を見てると、早く寝覚めて欲しいと願うようになった。
親として当然の心理と言えよう。
医者にはどうなるかは分からないと言われていた。
最悪の場合このまま植物人間として一生を終える可能性だってあるとまで言われた。
卓三としては祈るしかなかった。

未由季が目を開けた。
卓三は「これで本当に助かったんだ」と胸を撫で下ろした。
しかしその考えは甘かった。
目を開けたということは、神経が繋がり始めていると考えられる。
すなわち時間さえかければ普通の生活を送れるレベルまで回復する可能性は高まった。
そうなるとこの人物が山岸未由季なのか片岡哲司なのかを明確にしておかないといけない。
そうでないとすぐに面倒なことになる。
医者にそう言われたのだった。
卓三は当初から娘を助けるためにお金はかかってもいいと言っていた。
だから助かったのは未由季でなくてはいけないはずだと主張した。
そうでないとお金を出した意味がない。
しかし医者はその意見に反対した。
患者に真実を話して患者自身に決めさせたほうがいいと言うのだ。
それに対し、卓三は「患者自身が説明を求めれば説明してください。ただしそれまでは未由季として扱っていただきたい」と要請した。

患者が回復するにつれ病院側の緊張は高まった。
どういう反応を見せるか病院側と卓三は息を呑んで注視していたのだ。
哲司はそんな周りの様子に気づくことはなかった。
自分の身に起こっている状況に混乱しながらも自分で理解しようと努めていた。
未由季として目覚めたならば未由季として生きていこうと努力していたのだ。
それは周りの者の目にもはっきりと伝わった。
そんな哲司の気持ちに卓三は甘えたのだった。
ただし母の久恵は最初から何も知らされてなかった。
だから哲司のことを純粋に未由季だと信じていたのだ。
そのせいで退院時にひと騒ぎが起こってしまったのだった。



卓三の話が終わった。
哲司は何も言葉が出なかった。
「未由季は?」
説明の中で全く出てこなかったのが気になっていた。
「未由季の脳はすでに死んでいた。君の身体も、だ。だから君の身体に未由季の脳を入れ、片岡哲司として荼毘に付した」
「そう…なんだ…」
そんな言葉だけを絞り出すと、また言葉が出なくなった。
沈黙だけの時間が流れた。


「それでどうだろう?戻ってきてくれないか」
卓三が沈黙を破った。
「泰之との結婚は?」
「それは…」
卓三はやはり反対のようだ。
「どうして?」
「お前の夫となる男は次期社長になるべき者でないといけない。泰之は優しすぎる。あんなに優しくては社長なんて務まらないだろう」
「そんなこと…やってみないと……」
「哲司くんなら分かっているだろう。あいつに社長が向いているのかどうか……」
確かに哲司には分かっていた。
泰之には少し責任が重過ぎる。
ここで父親に反抗してまで結婚するほうがいいのか。
それともおとなしく父親の言う通りにしたほうがいいのか。
哲司には分からなかった。
「泰之と相談してからでもいいですか?」
「そうか…仕方ないな。吉報を待ってる」
卓三は帰って行った。


その夜、哲司は泰之に相談した。
「今日、お父さんが来たの」
「親父が?何しに来たんだ?」
「戻ってきてくれって」
「もちろん断っただろうな」
「泰之と相談してからって……」
「相談なんか必要ない。絶対に戻らないからな」
「そんなに意地にならなくても」
「未由季と結婚させてくれるなら考えてもいいけどな」
そう言った泰之は何となく強がっているように見えた。
「未由季はどうなんだ?戻らないだろ?」
「お父さんもいろいろ悩んでるみたいよ。家に帰ろうよ」
「そんな…未由季まで……」
泰之は自分の耳が信じられなかった。
まさか未由季がそんなことを言い出すとは。
自分と同じように絶対に戻らないと言ってくれると思っていたのに。
「家に戻ってから、わたしたちのことを認めさせればいいでしょ」
「今さらどの面さげて戻れるってんだよ。俺は絶対に戻らないからな」
哲司は卓三の話を聞いた時点で戻るつもりだった。
あんなムチャクチャな手術をされて本来は怒るべきなのかもしれない。
すぐには理解できない現実離れした話だった。
聞いたときには自分の中で理解し切れない状態だった。
卓三が帰ってひとりになってから少しずつ理解できるような気がした。
理解できると、全然腹が立たなかった。
むしろそこまでムチャクチャなことをできるほど娘を愛していたのだ。
"父"を悲しませてはいけない。
なぜかそんな使命感すら芽生えていた。
「わたしは家に戻るわ」
「勝手に戻ればいいだろ!俺たちはもうこれでおしまいだからな」
できれば泰之も一緒に戻ろうと思っていたのに。
しかし今は無理なようだ。
もう少し時間が必要らしい。
「それじゃ」
哲司は手ぶらで家に戻った。
もともとそれほど多くの荷物を持ってきていたわけではなかった。
家に戻れば自分の物はいくらでもある。
あえて持ってきたわずかな荷物を持って帰る必要はないのだ。


哲司はひとり家に戻った。
母の久恵が泣いて迎えてくれた。
父の卓三も嬉しそうだった。
哲司はこれでよかったんだと思った。

「お父さん、わたしに事故の秘密を教えてくれてありがとう。いろいろ考えることもあったけど、わたしは山岸未由季として生きていきます。今さらどうしようもないし、選択肢はそれしかないでしょ?事故のときに説明されていれば半狂乱になったかもしれないけど、もう未由季としてかなりの時間を過ごしてきたんだし、死んだ未由季に恨まれちゃうでしょ?」
「……ありがとう…」
「やめてよ、お父さん。娘にそんな態度おかしいわよ」
哲司は泣いた。
卓三も泣いた。
二人とも涙が止まらなかった。
哲司は卓三の望みをできるだけ叶えてあげようと考えていた。

家に戻った哲司に泰之から何度かメールがあった。
『戻ってきて欲しい』
そんなメールだった。
しかし哲司は家に戻ったことで、泰之への思いが一気に冷めていた。
泰之はやっぱり弟なのだ。
これからの人生の伴侶にはとても考えられない。
『泰之こそ帰ってきなさいよ』
哲司はそんな返事を返した。
何度か同じようなやりとりがあったが、いつの間にかどちらからともなく音信が途絶えてしまった。



家に戻って一ヶ月ほどしたときのことだった。
出勤した卓三から電話が掛かったきた。
『もしもし、未由季か。大事な書類を書斎に忘れたんだ。悪いんだが、会社まで持ってきてくれないか?』
「分かったわ」
哲司は書斎の机に置いてあった封筒を持って、卓三の会社に向かった。

「父に頼まれた書類を持ってきたんだけど」
哲司は会社の受付嬢に書類を差し出した。
書類を手渡して、すぐに帰ろうと思っていたのだ。
しかしそれは叶わなかった。
「山岸社長のお嬢様でいらっしゃいますね。社長からお嬢様が来られたら社長室に案内するように言われてますので」
「わたしは父に言われた書類を渡しにきただけだし」
「でもこのまま帰られますと私が怒られてしまいます。持ってきていただいた書類を持って社長室へお願いします」
「そう、あなたが注意を受けたりしたら申し訳ないわね。あんまり気が進まないけど、父のところに行くわ。部屋はどこ?」
「ご案内します。こちらです」
哲司は先を歩く女性のあとをついて行った。

「社長、お嬢様が来られました」
「おお、そうか。待ってたぞ」
ドアが開き、部屋の中に迎え入れられた。
「お父さん、はい、これ」
哲司は忘れないうちにと卓三に持ってきた書類を渡した。
「それじゃ帰るね」
帰ろうとしたが、予想通り呼び止められた。
「未由季、急いでるのか?」
「別に急いでないけど…」
「それじゃコーヒーくらい飲んで行かんか?」
そう言って哲司の返事も聞かずに、受話器を取りコーヒーを2つ頼んだ。
コーヒーはすぐに運ばれてきた。
哲司は仕方なく運ばれてきたコーヒーを飲むためにソファに座った。
すると程なくして男性がひとりやってきた。
「おお、金沢くん、来てくれたか。これがこの前話した娘の未由季だ」
どうやら卓三の目的はこの男に自分の娘を逢わせることが目的だったようだ。
男が哲司の横に立った。
哲司も手に持っていたコーヒーを置いて、立ち上がった。
「営業をやっております金沢です。よろしくお願いします」
営業職らしく手馴れた様子で、哲司に名刺を差し出した。
哲司は名刺を受け取り軽くお辞儀した。
「娘の未由季です。こちらこそよろしくお願いします」
受け取った名刺には『営業課 課長 金沢真一』と書かれていた。
"課長"と書かれていたが、それほどの年齢には見えなかった。
そんな考えが真一に伝わったのだろうか。
「ははは、若いくせに課長?って思ったでしょ!僕もちょっと不思議に思ってるんです」
そう言って照れる様子が可愛く思えた。
「金沢くんはお前の2つ上だが、すごく優秀でな。将来は経営幹部に入ってくれるだろうと期待してるんだよ」
そんな卓三の言葉に以前聞いた「お前の夫となる男は次期社長になるべき者でないといけない」という言葉を思い出していた。
この男と結婚することを卓三は望んでいる。
卓三の目的が分かりながらも、哲司はこの男に対して嫌な感じを持たなかった。
どちらかと言うと好意に近いものを感じていたのだった。
この男性と結婚するのも悪くないかも。
哲司はすぐにそんなふうに考えていた。

哲司はその夜真一と食事に行った。
卓三がすでにホテルのレストランに予約を入れていたのだ。
真一は予想通り優しかった。
一緒にいても何となくしっくりくるのだ。
妙な肩肘を張る必要がなかった。
変に調子を合わせる必要もなかった。
自然体でいられた。
何も言葉を交わさなくても何となく心が通い合っているような気さえした。

真一に抱かれたのはそれから3ヶ月が経ったときだった。
それより少し前から哲司のほうからそれとなくモーションをかけていたにもかかわらず真一は哲司を抱こうともしなかった。
それでもキスだけはしてくれた。
決してうまいキスではなかった。
歯がぶつかったほどだ。
だからセックスにもそれほど期待していなかった。
予想通り経験はほとんどなかったようだ。
哲司の身体に触れる手は震えていた。
乳房に触れるのも女性器に触れるのもおそるおそるといった感じだった。
しかし稚拙な前戯に哲司は喘ぎに喘いだ。
二人の波長がピッタリ合っているのだろう。
真一は哲司を求めた。
哲司も真一を求め、真一の腕の中で大いに乱れた。


二人は父親あるいは社長の公認のもとに交際をスタートさせた。
したがって二人の交際はすぐに会社の誰もが知るところとなった。
哲司が終業時に顔を出すと、受付の女性は社長である父卓三ではなく、真一に取り次いでくれた。
皆に見守られた交際は結実を迎えた。
交際を始めて半年を経た頃、哲司の妊娠が分かったのだ。

「真一さん、今日お医者さんに行ってきたの」
哲司が恥ずかしそうに真一に告げた。
「どこか悪いのか?」
「ううん」
哲司は下腹に手をあてた。
「えっ!できたのか!」
「うん、3ヶ月に入ったばかりだって」
「よくやった、未由季、結婚しよう」
「うん」
哲司はすぐさま答えた。
「未由季の妊娠が分かったからプロポーズしたわけじゃないからな」
「うん、ちょっと順番が違っちゃっただけよね?」
「僕は会ったときから結婚するつもりだったんだから」
「大丈夫よ、分かってるって」
二人は人目を憚らず抱き合った。


結婚式はホテルのチャペルで挙げられた。
よく晴れた日だった。
天まで二人を祝福しているようだ。
哲司は純白のウェディングドレスに包まれていた。
少し前までこの美しい未由季と結婚したいと思っていた自分自身がウェディングドレスを着て幸福感に包まれていることに何とも不思議なものを感じた。
未由季としてこれから誰にも負けないほど幸せになってやろう。
会社の関係者で占められた披露宴は決して楽しいものではなかったが、自分の美しさを多くの者に見せつけることができるのは何とも気分のいいものだった。
哲司はこの日から金沢未由季となった。


幸せな結婚生活だった。
結婚後、5ヶ月で男の子を産んだ。
真也と名づけた。
子育ては大変だったが、夫は優しく子育てにも協力的だった。
そして程なくして女の子が産まれた。
季代未と名づけた。
2人の子供に囲まれて哲司は幸せだった。
未由季として生かせてもらったことに感謝した。

そんな未由季の姿を見て、卓三は満足そうだった。
真一は未由季の夫として申し分なかった。
会社での活躍も目覚ましく、真一の社長就任も皆が認める既定路線にすらなっていた。

卓三には若い頃、結婚を考えていた恋人がいた。
美知代という名前だった。
二人の交際は順調で、お互いに結婚を意識していた。
そんなとき地方の小さなマーケットの経営者の娘との見合い話が持ち上がった。
まだまだ会社の規模は小さかったが、経営者という座に心が揺れた。
そんな卓三の心境の変化に気づいたのか美知代のほうから姿を消した。
そのとき美知代のお腹の中には卓三の子供がいた。
卓三はそんなことは全く知らなかった。
そして産まれた子供が真一だ。

一方卓三は見合いをして結婚し、会社の規模を少しずつ大きくすることができた。
最初の妻は若いうちに病気で死んだ。
そして数年して今の妻と結婚したのだ。

卓三はつい最近まで、真一の存在すら知らなかった。
美知代が癌を煩ってしまい、余命幾ばくもないため、卓三を頼ってきたのだ。
自分が死んだ後、息子を頼むと。
疑り深い卓三は念のためDNA鑑定を行った。
その結果、卓三と真一の親子関係が確認された。

息子の存在を知ると実の息子に今の財産を譲りたい。
卓三にはそんな思惑が生まれた。
二度目の結婚のときの連れ子である泰之は法律上の息子というだけだ。
真の意味での息子ではない。
真一を認知すれば、財産を譲ることも可能だろう。
そんなことをすれば何らかの騒動になるのは明らかだ。
今さら離婚調停などはしたくはない。
世間体もあることだし、できれば避けたい。
卓三は悩んだ末、真一を自分の会社に入社させた。
経営者として育てていこうと思ったのだ。
そうなるとあれほど無茶な手術をしてまで助けた未由季の扱いがひっかかってきた。
未由季は身体的には確かに卓三の娘だ。
確実に卓三の遺伝子を引き継いでいるはずだ。
しかし未由季は未由季であって未由季ではない。
脳は片岡哲司という男性なのだ。
そんな思いがどこかにあった。
そんなとき悪魔の考えが閃いた。
そうだ、真一と未由季を結婚させればいいんだ。
そうすれば確実に自分の遺伝子が引き継がれる。
真一も娘の婿として間接的に財産を譲ることが可能になる。
社長の娘婿として会社の経営権を譲ることもできる。

未由季となった哲司はあろうことか自分の兄と関係を持った。
その兄と別れると、今度は法的には弟と関係を持った。
よほど兄弟との関係が好きらしい。
ならば異母兄妹で結婚してもうまくいくだろう。
はたして二人は理想的な夫婦になった。

もちろん二人が異母兄妹だということは墓まで持っていくつもりだ。
自分の描いたシナリオ通りに進んで、卓三は満足だった。


《完》

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